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[2000年を目前に、写真表現のこの20年間を思い起こす:倉石信乃『反写真論』・島尾伸三『ひかりの引き出し』/日本カメラ2000年1月号:243]


 今、誰しも2000年が訪れることを疑ってないように、1980年代には、写真表現に関わる誰もが、90年代が訪れることを疑っていなかったのではないだろうか。
 こんなことを、今さらながら、ふと思ってしまったのは、倉石信乃の『反写真論』に収められた文章の初出の日付が、主に90年代の後半と記されていたからである。このような真摯な批評が写真表現をめぐって、90年代の後半に綴られていたことには、率直に驚かずにいられない。例えば、本書のために書き下ろされた文章の、次の一節をみてみよう。
 「よく見られる眺めに即して言えば、『メタ批評』の主体は、自らも死傷する可能性のある距離をあっさり回避した上で、作者と作品ではなく、その茫洋と拡がるはずの存立基盤を書割のそれのごとくに前景化しながら、これを腑分けして見せる偽の『外科医』を髣髴させることになる。」
 ここで用いられている言葉ないしは語調から、80年代を思い起こさない者はいないだろう。ある種の定説に従って、1985年から95年という区切りを80年代と捉えるなら、80年代とは確かに、写真があり、批評があり、それらがあるという暗黙の了承の中で、写真表現の可能性と不可能性が、ロマンティックな自家撞着の中で語られた時代であった。
 しかし、90年代には、可能性と不可能性も展開されなかった。というのも、写真表現があるという前提そのものが、不意に消滅してしまったように思われるからだ。それゆえ、反・写真論を意味するのか、反写真・論を意味するのか、いずれにしても、タイトルからして80年代的な『反写真論』が今あえて出され、そこで、例えば〈死傷〉という言葉が隠喩ではなく、真に何かが賭けられている言葉として用いられているとするなら、いささかも反語ではなく、そこに奇跡を見るような驚きと感動を覚えずにはいられないのである。
 島尾伸三の『ひかりの引き出し』は、まったく別の意味で、消滅してしまった写真表現の90年代、訪れなかった90年代について思い起こさせる一冊である。
 ここ20年間に書かれた文章が編まれたらしい本書は、冗長とも言えるほどの長さの文章のような目次、【】にくくられた見出し、一部がゴチックで強調された本文など、読みやすくする努力がなされているにもかかわらず、読めば読むほど意味不明である。こう言っても、筆者には失礼に当たるまい。なぜなら筆者自身が、【ごめんなさい】という見出しで、あとがきで、こう言っているからである。
 「そうなんです。私が言ったり書いたりしていることは、矛盾に満ちていて、整合性がありません。その場の思いつきと、原稿の締切に間に合わせようといい加減な作文で誤魔化してきただけなのです。ここに、二十年ほどかけて書いた赤茶けた作文を並べ、あまりの無知に呆然自若し落涙するばかりです。こんな湿っぽいことをあとがきに、ぬめぬめと書くこと自体が不健全なのですが。何をやっても私のような考えでは、無意味だという気持ちも押さえがたいのです。事実そうなのかもしれません。」
 この余りにも正直な一節は、80年代のロマンティックな自家撞着において、コンテンポラリー世代の十八番であった自己憐憫を超えて、90年代の脱力感を示して、なお余りあるように思われる。このように言われてみれば、写真も批評も、あるという暗黙の了解があっただけで、そもそも60年代から今日に至るまで、あった試しがなかったのかもしれない、とも思えてくる。
 2000年を目前に控え出版されたこの2冊は、こうした意味で、1980年代ないしは訪れなかった90年代の総括とも捉えることができる。筆者がどこまで本意なのか知るよしもないが、いずれにせよ、ささやかな慰めは、この2冊が、写真はかろうじて文学でありえたということの証左になっていることだろう。