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[より新しくより真摯に小説に描かれて心うつ写真とその周辺の人々:真保裕一『ストロボ』・小林紀晴『暗室』紹介/アサヒカメラ2000年8月号:155]


ストロボ (新潮文庫)  「スタジオを構えたばかりのころは仕事を選んでいられもしたが、すぐに夢は現実の前にしぼみ、背に腹は代えられなくなった」

 プロ・カメラマンが、思わずドキリとさせられるような、こんなシーンが描かれているのは、真保裕一の『ストロボ』。江戸川乱歩賞でデビューし、山本周五郎賞などを受賞している真保の小説は、ミステリという枠組みにとどまらず、緻密な取材に基づいた確かな構成により、人間心理の深い葛藤を描き出すことで定評があるが、カメラマンを主人公に据えた本書も、その例外ではない。

 タイトルになっている「ストロボ」を含めた五章からなる本書は、変則的に構成されている。主人公の20代から50代の姿に対応しているそれぞれの章が、50代から20代に遡るように、逆に編まれているのだ。これによって、夢を捨てきれないまま、葛藤しつつ日々を過ごす主人公が、いかにして現在に至っているのかが徐々に明かされていくという、構成自体がある種の穏やかなミステリになっており、ストーリーに厚みが増している。

暗室  写真の短大を卒業後、新聞社勤務を経て、アジアをめぐる旅に出たというキャリアを持ち、デリケートな共感から生まれるしなやかな文章も含めて、多くの若者に支持されている写真家、小林紀晴が書いた『暗室 dark room』は、趣向は異なるものの、やはりカメラマンが主人公の小説である。

 カメラマンや写真家を志す若者をテーマとした七つの物語からなる本書は、いささかも大上段に構えることなく、葛藤し焦りながらも、それを上手く表に出すことができないでいる若き表現者の卵たちの姿を、そっと浮かび上がらせる。「実際にあったことをもとにしている」と小林が述べるように、本書に登場してくるのは、写真器具メーカーを辞めてスタジオマンになったヒデオ、写真の専門学校に通うことを口実に東京に出てきたサチコといった、どこにでもいそうな若者たちだ。それだけに本書では、写真をとりまくさまざまな出来事が起こす、感情の波紋のようなものが、とてもリアルに描かれている。現在さまざまなジャンルで、〈J~〉といった名称で呼ばれる新しい感性が注目されているが、そういった感性の源泉を、ここに描かれた物語に垣間見ることもできるだろう。

 『ストロボ』や『暗室 dark room』に登場しているのは、従来の小説にありがちであった、決定的瞬間を求める熱血漢のカメラマンではなく、〈この一枚〉を撮ることに憧れたり、写真に現実の確かな手応えを求めながらも、そこから知らず知らずのうちに遠ざかっていってしまう、いわば生身のカメラマンだ。言いかえれば、ここでの登場人物たちは、経験的な確かさを得ようとして写真というメディアに接するのだが、その過剰な期待ゆえに写真という虚構に裏切られていく存在なのである。そして、さらに逆説的なことは、実のところ、そのような写真との擦れ違いこそが、登場人物たちに生の実感を与えていることだ。

 しかし考えてみれば、こういった二重の逆説は、今日の写真表現に関わるすべての人に通底するものではないだろうか。現代の写真表現は、多様性と自由を目指し、ある意味ではそれを実現してきたが、結局のところたどりついたのは、経験を支えるには軽やかになりすぎてしまった写真という表面と、それを目指しながらも軽やかさに耐えられもしない脆弱な自我だったのではないだろうか。これらの小説に登場してくる人物たちの、写真への、そして自我への過剰な期待は、こうして現実の写真表現とも符合しているように思われる。それゆえに、これらの小説は、写真に関わっている人が読んでも、いささかも白々しくないばかりでなく、かすかな痛みとともに、切なくもリアルな余韻を味わせてくれるに違いない。