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[魅力的な考察が新刊に、中井正一を軸に考えた30年代日本の映像環境:高島直之『中井正一とその時代』紹介/アサヒカメラ2000年5月号:189]


中井正一とその時代  本書には、『中井正一とその時代』という、固有名詞を含んだ題名が掲げられているが、にもかかわらず、あるいは、それゆえに、写真表現にとっても、多くの魅力的な視点を含んだ考察として読むことができるだろう。

 美学者・中井正一の論考を「傘概念」として、〈機械の美学〉が世界中を席巻した1930年代の文化を逆照射するという動機のもとに書かれた本書では、中井の論考を軸に、世界的な規模での美学的な感受性の変容と、同時代の日本での動向がつぶさに考察されている。これはかつて流行した、いわゆる30年代ブームにおける、諸文化を並列するような視点とは一線を画した、感受性の変容の根底に迫ろうとした画期的なものだと言えるだろう。

中井は、『光画』に執筆するなど、写真表現との具体的な関わりも持つが、本書においてあきらかにされていくのは、そうした具体的な関わりにとどまらず、中井が〈機械の美学〉を象徴するような写真的な感受性に依拠しつつ、しばしば論考を展開していることである。このような視点から捉えると、30年代の写真表現がいささかも孤立したものではなく、逆に、写真的な感受性の中に浮かび上がった連続的なものであることが、改めてよく理解されるに違いない。

「中井正一の美学・哲学は、啓蒙的であるがゆえに具体性をもち、またそれゆえに資本主義的民主主義の論理に呑み込まれていった。だが、この現代でも日常の生活を〈批判〉しつづける思考として生き延びている」、と著者は言う。中井に限らず、今日においては、資本主義的民主主義の論理に呑み込まれていない人間はいないだろう。逆説的だが、〈機械の美学〉が強調されなくなった今日こそ、〈機械の美学〉が日常化しているように、中井の論考は今日さほど新鮮にうつらないかもしれないが、それゆえに先駆的かつ的確だったのだと言えるのではないだろうか。この意味で、あえて中井を前景に押し出した本書を読むことは、今日もはや日常化してしまった、写真的な感受性の在処を確認するという点において、写真表現にとっても、重要なことであるように思われるのである。