texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[多くのスナップに残る、刻む者と想う者の存在、矢内原伊作と大彫刻家:矢内原伊作『アルバム||ジャコメッティ』紹介/アサヒカメラ2000年1月号:150]


アルバム ジャコメッティ  矢内原伊作がジャコメッティと知り合い、親交を深め、モデルをつとめた1955年から1961年までの日々を、矢内原本人が撮影した写真によって編んだ本書は、哲学者と美術家のたぐいまれな交流の記録として、貴重なものであることは言うまでもない。

 かつて、『ジャコメッティとの日々』として出版された本書の第一部は、その豊かな交流をよく物語るものであるが、今回新たに収録された第二部の写真には、それだけにとどまらない興味深いものがある。

 モデルとしての矢内原は、そのために帰国を延期し、毎回深夜までモデルをつとめるほど、ジャコメッティの探究に、欠くことのできない存在でもあった。ジャコメッティの仕事と生活にこれほど深い係わり方をしたモデルは、矢内原の他にいないと言われるほどである。

 年次ごとに分けられ、時間的順序に沿って編まれた、第二部のジャコメティのアトリエにおける作品の制作過程には、『ヤナイハラの肖像』や『ヤナイハラの胸像』が描かれ作られていく、そこでの試行錯誤の様子が、つぶさに収められている。

 矢内原が撮った、制作過程にある自身の肖像や胸像は、単純素朴な写真だが、それだけに、ジャコメッティが見つめたモデルとしてのヤナイハラ、絵の具や粘土に形を変えていくヤナイハラ、モデルをつとめながら自身の肖像や胸像を見つめる矢内原といった、複雑な合わせ鏡のような関係が凝縮されている。本書に収められた、その緊張をはらんだ関係には、見ることや作ることの困難さと、その困難さに取り組む者だけが得られる歓びが、沈黙の中に深く刻まれているように思われる。

 『アルバム』と題された本書は、写真集と呼ぶよりは、やはりアルバムという言葉が似合う、親密な交流の写真で満たされている。しかし同時に、その親密さは、見ること、作ること、思索することの厳しさに貫かれている。それが50年代という時代がもたらした好運であるにしても、ここにある素朴な写真の豊饒さを羨まずにはいられない。